熊宮庭苑の歴史
熊宮庭苑の歴史を『代表取締役 熊宮照男』の生い立ちを交えながらインタビュー形式で紐解きました。
会社の歴史
会社沿革
インタビュイー
株式会社熊宮庭苑
代表取締役 熊宮照男
インタビュアー
株式会社Bond 林 明成
生い立ち
1970-1987
私の人間形成は叔父と母方の祖父から影響を受けた部分が大きい
1970年2月23日に生まれました。ちなみに今の天皇陛下の誕生日は1960年2月23日。ちょうど10歳違います。世代でいうと第二次ベビーブームの先駆けです。
益城町にある一般的な家庭で生まれ育ちました。近所だった母の実家は農家で、叔父と母方の祖父と頻繁に遊びに行っていたので私の人間形成には叔父と祖父から影響を受けた部分が大きいです。
叔父が兼業で造園を始めると、当時小学生でしたがお客様のお庭の剪定や掃除についていって手伝ったり、休日は山に連れて行ってもらっていました。今思うと自然の中で育っていた感じがあります。
中学1年で野球部をやめてからは高校卒業までアルバイトをしていました。中学では新聞配達、高校では銀座通りにあるお弁当屋で。その頃から働くことは嫌いではなかったですね。
高校は熊本工業高校の機械科に進学。今は建築や土木でもよかったなと思いますが、当時は機械科が熊工ではメインの科だったので選びました。
はじまった社会人生活と入社のきっかけ
1988-1996
高校卒業後、1988年に東京の会社に就職。
高校生活は3年間バイトに明け暮れて、卒業する時に将来したいことは全くありませんでした。担任の先生に「ここどうだ」といわれたことがきっかけです。
1社目は建設業。
鉄骨を製作する企業に就職。
就職先は建設業で鉄骨を製作する会社。26歳まで8年間勤めました。
大きく2つ部門があり、鉄の橋を架ける「土木」部門と、「建築」部門です。建築部門は高層ビルの土台になる鉄骨をつくるところです。
まず建築の鉄骨工事部に配属され、ちょうど2年程経った頃に東京都本庁舎の現場で鉄骨を組み立てる現場監督の様なことを行いました。
起業への「想い」そして「独立」へ
1997-2000
いずれは「起業しよう」という気持ちはありました。余談ですけど高校から遠距離恋愛で結婚した妻のこともあったので。
就職した時はバブル期。私はサラリーマンでしたが、職人さんは高い給料をもらっていたんです。20歳くらいのときに同じ熊本出身で型枠大工している人と知り合ったんですけど、月収80万くらいで。そのとき私は手取り10万くらいだったので、熊本に帰って職人しようと思いました。
結局、熊本に帰ってきたら職人はすごく安く、サラリーマンの方が良かったかなと思った時期はありました。
でも幼少期から自然が好きで熊本に戻ってからは職人をしたい気持ちが強く、造園の仕事をやっていた叔父のところに半年くらい勤めました。そして本格的に造園の勉強をしたいと思い、当時龍田にあった「日本緑化造園学校」(造園専門の専門学校)に通いました。今はもうないんですけど、失業保険をもらいながら半年間通い、卒業したいと思って残り半年は自分で支払って卒業しました。
それから熊本市内の本格的な造園業の会社に就職。7年間ほど勤めて独立しようと思っていましたが、3年間くらいで「自分でやっちゃえ」と2001年31歳のときに軽トラ1台と体1つで独立しました。
起業
2001
最初は個人だったので「造園熊宮」という屋号でした。当時、会社の将来像は無かったです。4月に起業して6月に造園学校の5つ年下の同級生と2人で始めました。ちょうど熊本に戻ってきたときに3番目の子どもが生まれて、どうやって将来を見越して生活費を稼ごうかという感じでした。
起業後の歩み
2002-2008
独立した頃、仕事ができない雨の日は竹の子掘りやタラの芽採りに行ったり、温泉にいってたんです。でも子どもは3人いたし、雨でもそんなに遊んでいたらいかんなと思ったことが後に公共関係の仕事を請け負うようになったきっかけです。とにかく休まず仕事していかないとと思っていました。
2003年に造園業工事業熊本県知事許可(般)15509号を取得しました。
法人化
2009-
「株式会社熊宮庭苑」設立
法人化は独立して8年後の2009年。まだその当時は創業したときと同じ2人でした。公共関係の仕事もしていてまとまったお金もあったので「ちょっと法人でもしとくか」という軽いノリと、ようやく造園業で食べていけるのかなというので法人に移行しました。
「下請けはしない」理由
2人でやってるくらいではほとんど利益はなくて。とにかく生活のために仕事していました。
ただ、これだけは!というのが1つありました。「下請けはしたくない」ということです。
1社目の時にゼネコンの監督がいて、職人さんがいて、間に挟まれていたんです。それがすごく嫌でした。仕事自体は好きでしたが自分に決定権がなかったので。
仮に建築屋の仕事を受けるようになれば、建築屋の指示で動かなくちゃいけないし、直接お客様とはやりとりができません。それをできるのが造園業ということも独立した理由でもあります。
「下請けをしない」は人に対する想い、直接お客様とお話ししたいということ。
確かにメンテナンスや剪定は法人に比べたらすごく金額的には安いですが、お客さまと直接やりとりができるじゃないですか。だから「下請けはしない」というのだけありました。
昨年「価格決定権はこちらにある」というのを聞いて、「下請けをしない」というのはそれだったんだと思いました。自分で単価・価値を決める。リスクもあるけど自分次第ということですね。
熊宮庭苑 代表的な仕事
基本的には個人住宅がメインです。公共関係の管理では街路樹の管理とか、公園の除草とか、工事では市電の「緑のじゅうたん」ですね。花畑町から熊本市役所前までの区間を行いました。
「オレンジガーデン」出店のきっかけ
私の次女が熊本農業高校の園芸科に入学したんです。卒業するときに福岡にある西日本短期大学の造園科を勧めたら本人も行ってみたいという意向があり、店舗を出す準備をはじめないとなと思いました。夢を現実のものにしなきゃなと。娘で女性なので一緒に地下足袋はいて仕事をするのは難しく、将来任せられるような造園やエクステリアの店舗を作りたいと思ったんです。
オレンジガーデン開店
2013-
店舗づくりはワクワクしました。手描きの図面を描いてもらって、それがすごくカッコよくて、こういう店舗ができるんだと感慨深かったです。しかも建築屋さんのそのパース図の中に木が描いてあったんです。「え、木をいれるんですか?」って。今のモデルガーデンのところに植えられていた木をを伐採して父と息子に塗装してもらい、店舗の中に入れました。今もお店のシンボルになっています。
店舗名の理由や想い
名前だけは「オレンジガーデン」と決めていました。言いやすいし、あったかそうだし、なんか良いなと思って。あとはオレンジを和訳すると「橙(だいだい)=代代」。代々続いてほしいという想いです。永く続く会社であって欲しいし、永くお客様とお付き合いできたらいいなという意味があります。
最初のオレンジガーデンスタッフ
1人目は青山です。10月オープンで、12月からですね。
今思うといい加減なんですが、青山マネージャーがうちに来てくれると決まっていたわけじゃないのに開店したんです。店舗をつくって妻の妹と同期でエクステリアの仕事をしている青山を紹介してもらいました。たまたま。もし青山がいなかったらどうなっていたんだろうと思います。
人の動き
次は今は県外に行かれた方が入社され、その次は樋口。
青山がいて、その辞められた方がいて、もともと独立してから今でも一緒にやっている宮﨑(造園熊宮から)と15年くらい一緒で。宮﨑君も自分ではじめたいとのことでオレンジガーデン開店から半年くらいで独立しました。そうなったら現場に誰もいなくなったんです。それから樋口、豊田、竹田が半年おきくらいにポンポンポンと入ってくれました。熊本地震の前、2015、2016年ですね。地震後に財部となな子が入り、2017-18年でだいぶ今の形になりましたね。
熊本地震後
地震後は忙しかったんですが、熊宮庭苑として初めての赤字の年でした。店舗としての仕組みがまだできていなかったんです。職人でやってきたので経営面はどんぶり勘定でした。よく今までそれでやってこれたなっていう。赤字になって、これではダメだと単価や発注の仕方を見直し、経営面もしっかりと考えるようになりました。
仕事は増えましたが、そういうことにも気づかされました。
もう1つ気づかされたのは、個人的な話ですが「運がいい」ということです。今の益城事務所は地震の2日前に購入したんです。地震直後、多い時には15~6人で生活していました。親や親せき、近所の方とか。親は「仮設住宅に入らない」と言って、2年半くらいは益城事務所の1階で生活。周りは全壊が多い中、あそこはどうにもなっていませんでした。だから自分でいうのもなんですけど「運があるな」と思います。ついている人生を運が悪くなるような人生にしないように生きなきゃなとも思っています。
創業してこれまでを振り返って
現在
スタッフに恵まれて、ただがむしゃらにしてきて、メンテナンスの仕事だけじゃなくてお庭を造りたいというのが一番なので、ある程度お庭の工事をお客様から直接受注できるようになってきたなという想いは出てきています。
会社の理念とか別にして、いろんな仕事をやれているなと。ただ今年を含めると20年なので会社としてもう一歩踏み込み、本当の意味での会社の理念、なんのために自分たちはいるのかということを考えていかなければいけない時期だと思っています。
大切にしている言葉
「お庭づくりは一生に一度」
今でも1つ肝に銘じている言葉があります。付き合いの古い造園会社があり、月1回そこの社員と協力業者が集まるミーティングがあります。そこで1枚のお客様アンケートが伝えられました。
あなたの会社にお庭の工事をお願いしたことを今でも後悔しています。あなたの会社にとってうちのお庭の工事は何百何千のうちのひとつの工事かもしれないけれど、私たち家族にとっては一生に一度あるかないかの工事だったんですよ。
他の会社の、しかも10年前の出来事ですが、これはいつも頭の片隅にあります。毎日毎日お庭の工事をしていますが、一生に一度という気持ちでひとつひとつ丁寧な仕事をしなければいけないなと思います。それだけは忘れらないですね。
今後の展開、夢について
将来的にはオレンジガーデンと熊宮庭苑のお客様と何かコミュニティをつくれて、そのお客様と本当の意味での末永いお付き合いができる関係性を築いていきたいと思っています。
会社沿革
2001年 | 個人事業として『造園熊宮』創業 |
2003年 | 造園業工事業熊本県知事許可 (般)15509号取得 |
2009年 | 株式会社熊宮庭苑へ法人化 |
2011年 | 熊本市電『緑のじゅうたん』施工 |
2013年 | サンロードシティ熊本内に 『オレンジガーデン』開店 |
2019年 | 二級建築事務所登録 |